舞台中央の天井から、きらきらと流れ落ちる細い糸。砂時計にも似たその流れが、少年の危篤の知らせに途切れる時、胸がつかまれた様でした。そして産まれた沈黙に耐えきれなかった医師と、あと3秒待たされたら自分が動いていたのに……と、その「3秒」をこの先の人生ずっと&生まれ変わってからも悔い続けるだろう父親と。
また流れ始めた輝く糸は、閉演後もきらきらきらと流れ続けていました。(近づいて見てきました、水だったんですね。スポンジ状?の床材に吸い込まれ、水たまりはありませんでしたよ)
あの流れ続ける水の様に、9才の少年がその後も元気に幸せに生き続けていることを願います。
と、いうわけで三谷幸喜脚本、タイトル通りに90分のお芝居だった「90ミニッツ」を見てきました。
交通事故にあい、通常なら手術で救える筈の少年に残された時間はこのままだと90分。信仰上の理由で輸血を拒む父(近藤芳正)と、手術(含輸血)を勧める整形外科医(西村雅彦)のせめぎ合いが見事でした。
なぜいけないのか?
輸血は提供者の命を削っていないのに?
もし輸血したら罰があるのか?
親のエゴじゃないのか。
医師の論理的な畳み掛けに、おろおろと揺れては妻との電話で盛り返す父親が腹立たしいのですが、彼らには彼らなりの正義があるわけです。
9才は死んじゃいけないのか?
90才なら死んでいいのか?
むしろ患者の意志を無視しても助けたい医師の気持ちこそエゴではないのか?
そんな出口のないやりとりに、時折笑いが起きます。でもその間にもどんどんと、息子さんは死に近づいてるのかと思うとやりきれません。こんな言い争う隙に、付き添って手でも握って看取ってあげなくていいんだろうかとハラハラしたり。でも彼らの信念に基づけば、他の肉を身体に入れずに生きて来た息子さんの魂はちゃーんと生まれ変わるので肉体の死は死でないというのなら、ねえ。
「生きたい」と
「死にたくない」の違い。←この辺、まさに三谷節。
承諾書なしの手術で医師が失うもの。
最後の最後での決断。
結局ああなるのなら、父親がさっさと承諾書書いて、息子と妻には輸血無しで済んだよって嘘ついておけよーと思ったり(3秒…のくだり、自分が息子を助けなかったことでなく、輸血されたことをやっぱり後悔する言葉を吐かれたらどうしようかと思いました。)
実話でのその後はともかく、物語世界でのその後はどうなったのでしょう。せめて訴訟だけはしないであげて、もしくは証言だけはしてあげて、坂の上の新居が幻に消えないであげてほしい……。
終演後隣をみたら、友人が泣いていたので驚きました。理詰めて見る自分と、情で見る友人とでまた見える世界は違うんでしょうか。『三谷幸喜?見たい見たい!』とついてきて、喜劇を見る心づもりだったそうで余計に振り幅が大きかったのかと思うと申し訳ない。
ところで例によってお目当ては西村さん。
すーっと背筋の伸びた後ろ姿の美しさが相変わらずで、白衣が更にお似合いでした。眼福、眼福。