「早く元気になれよ」
善意なのに、辛い言葉。だって治らないから。

 たった一夏なのに、入院が終わっても良くなるどころか目に見えて歩き方が不安定になっている亜也。
通学・教室移動・部活、何をするにも誰かを待たせ、転べば助けられ、迷惑をかけている自分が情けない・・・・・。
「迷惑じゃないよ!」
「友達だもん!」
って、ほんの2,3週間のことだと思ってないかい?でも、治らないのに(先生の説明も悪い。ウソはイケナイよウソは。)

 障害者手帳の申請を勧められて狼狽えるお母さん、怒るお父さん。
特にお母さんは、保険士として普段は取得を勧めてる立場だろうに。特典もばっちり理解しているだろうに。やっぱり我が子が持つのはイヤなの?

 我が家には所持者がいるので・・・提示してアレコレ割引されるメリットに慣れちゃうと、もっと等級あがれば水道代タダでいいなーとか家族で冗談言ってます。でも昔はあんなやりとりもあったっけ。必要ないとか、可哀想とか、治るかもとか・・・・。

(追記:この場合のお母さんの動揺は、『手帳=治癒の可能性無し』という病状に対してか?と、後から思いあたりました。 手帳拒否がイコール障害への偏見に見えるなら、私の心に偏見があるのだわ・・・・反省)


 下の子供達にも丸ぎこえのケンカに、
「隠すならもっとちゃんと隠して」と亜湖が啖呵を切り、結果、家族全員への告知に繋がっていく流れは胸のつかえが下りる思いでした。
 でも、お母さんの説得は頭でっかちじゃない?「身体障害者福祉法」??

 リハビリ頑張って、登下校頑張って、泣かずに頑張って、水呑まずにトイレ行かずに(付き添いの友達を授業に遅刻させたりしないよう)頑張って、あげく脱水症状で倒れて運ばれた亜也なのに。これ以上何をガンバレというのでしょう。
「そのままでいいんだよ」とだけ言ってあげて欲しかった。「亜也は亜也」なんだって。

 もっとも「そのままでいい」という言葉は確かにちょっと危険で、「なにもしなくていい」と受け取るヒトもいるから。向上心は無くさずに、残された能力で目指せる上限を目指そうねという親心でもあるのでしょうが・・・・・。
 「社会経済活動への参加」云々は、手帳の現物や使用の手引きを受け取った亜也が自分で見つけて心に刻むべきだったのでは。

「おねえちゃん、ぺんぎんさんみたーい♪」
このチビちゃんの視点が一番好き。一時固まったものの
「可愛いでしょう?」
と答えてあげられる亜也が好き。

一方「ボクは亜也ねえの味方だよ!」と即答した弟。答えにつまる亜湖。
亜湖ちゃんワルモノみたいですが、それだけきちんと考えている証拠だと思いました。
そしたら予告で、ほら!!
本人に悪気はなくてもね、善意の即答ほど怖いことはないのよー(><)笑顔で教室移動につきあってくれてる友人達も、善意なだけにしばらくしたら「迷惑」だの「いつ治るの?」だの、本音を影で言いそうで怖いです。悪意無く。

 そこで登場、麻生君ですよ!!
憎まれ口を叩く仲。 並んで歩いても、待たせてない。ボール拾わせても大丈夫。 
麻生父が指摘するように、興味本位はあるかも。不治の病と知っていて、彼女のこれからを背負って立つ甲斐性など高校生に求めるのは酷というものですが、とにかく今、麻生君と一緒の時が一番みていてホッとします。

 先輩への別れの電話。
「うそでいいから泣いてやれよ」
だなんて。黙って泣かせてやれよーとも思いつつ、売り言葉に買い言葉で亜也が少し笑えたのでやっぱりホッとしました。